2009年12月23日 (水)

徹底例解 ロイヤル英文法

綿貫陽:改訂・著 宮川幸久、須貝猛敏、高松尚弘:共著 マーク・ピータセン:英文校閲
徹底例解 ロイヤル英文法

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買った本を捨てたり、売ったりして、手放す人がいるが、私はまず、そういうことをしない。それは、苦い経験があるからだ。

大学受験の前は、何ヶ月も、ほとんど英語の勉強ばかりしていた。来る日も来る日も、明けても暮れても、寝ても覚めても、文法の参考書、長文読解の参考書、単語集、熟語集...ただ、ひたすらそればっかり...

その甲斐あってか、何とか合格はできた。そして、解放感とともに、毎日をともにしてきた参考書たちを見ていたら、無性に腹が立ってきた。

「もうこんな本、二度と開くもんか!」

「捨てたるわい!」

...そう決意し、すべて、何もかも、嬉々として捨ててしまった。気持ちよかった。最高の気分だった...

それから約10年、私はまた、毎日毎日、英語と格闘する人間に戻っていた。まったく予想だにしない展開...しかも、今度は期間限定ではない。多分、これが一生続く...

そういう日々では、当然のことながら、「あれ?文法的にはどうだっけ...」と確かめたくなることがよく起きる。

「確か受験の時に使った参考書に書いてあったはず...」

「あー!あれ捨てたんやんか...アホやなあ...あの本、わかりやすくて良かったのに...」

仕方がないので、買い直すことにしたのだが、何しろ、随分時間が経っているので、どの参考書だったかが思い出せない...必死で記憶をたどった結果、それはどうやら旺文社の「ロイヤル英文法」らしい、とわかった。早速、購入した。多くの障害を乗り越え、やっと再会できたのだ。「もう、お前を一生、離さないぞ」という気持ち。

一度、喜び勇んで捨てておいて、勝手なものだ....

...てなわけで、人生、何があるかわからないので、怖くて本を手放すことができない...絶対にできない...

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時制の一致には例外があるんですよ、皆さん...

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2009年12月21日 (月)

コンピュータは、むずかしすぎて使えない!

アラン・クーパー著 山形浩生訳 「コンピュータは、むずかしすぎて使えない!

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「身長一八〇センチの十七歳の少年は、一人前の男の強さはもっているけれど、それだけの成熟度を持ち合わせていない。この少年は自分より弱いやつに一向に同情しない,,,その態度は傲慢で単純だ。ついてこれなければ死ね。他の子供を圧倒するだけの肉体的な力を持っているので、圧倒する」
「プログラマたちが高校にいた頃は、体育会系の肉体的な調和はない者が多かった。でも、頭の回転がはやくて強力で、知能がうまく機能するという才能を持っていた。思春期のさなかにあって、かれらの才能は筋肉ほどの価値はない。校庭では、力の強い少年たちに簡単にやられてしまう」
「いったん学校を卒業して現実の社会に出ると、他の人間を肉体的に圧倒するという能力は、すぐに力を失って使いものにならなくなる....他の人間を知的に圧倒するという能力は、成熟した民主的な大人社会への転身でも失われないのである」

子供の社会、特に男の子の社会は強さがすべてだ。クラスに20人、男子がいたら1番から20番まで、「強い順」に厳密な序列がある。四六時中、強い者の天下。弱い者は、腕力以外にどんな取り柄があっても、ほぼ、それは取り柄とは認められず、小さくなって暮らす。

...なのに、大人になると、腕力が取り柄になることってほとんどない...何かが間違っているような気がして、しょうがないなあ...腕力のある子は、せっかくえばっていたのに、段々、凋落していく人生だし、他に取り柄のある子は、実はえばってもいいはずなのに、不当に小さくなって生きる日々をかなりの間、送らねばならない。

まあ、間違っている、ということはないわけだけれども。そういうものなのだ。人間が野生動物でなくなった時から、そういう矛盾を抱えて生きる宿命なのだな。子供はまだ野生動物だから、動物本来の原理で生きる、ってことだろう。

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学校って何だろね。

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2009年12月20日 (日)

トゥルー・ストーリーズ

ポール・オースター著 柴田元幸訳 「トゥルー・ストーリーズ

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「たいていの書き手は二重生活を送る。まっとうな職業でちゃんとした金を稼ぎ、できるだけ生活を工夫して書く時間を作る。朝早く、夜遅く、週末、休暇...教師をしている作家も多い。今日ではたぶんそれがいちばん一般的な解決策だろう...小説家も詩人も年中、どこかに職を得ようとあくせくしている。誰が彼らを責められよう」
「私の問題は、二重生活を送る気がないということだった。働くなんて嫌だ、というのではない。けれども、九時五時の職に就いて毎日パンチカードをパンチすると思うと全然やる気が出ず、何の熱意も沸いてこなかった」

できれば、自分の好きなことだけして暮らしたいと思う。それは誰しもそうだ。

もし、その「好きなこと」が、絶対金を生むはずのないことで、それで暮らしている人が世の中に一人もいないとしたら、もうあきらめるしかない。話は簡単になる。それこそ九時五時の仕事をきちんとやって、あとの時間で、好きなことをする。それしか選べない。

だが、確率は高くないけれど、ひょっとしたらそれで食べられるかも、ということが「好きなこと」だったら話は複雑になってしまう。それだけでごはんを食べている人もいるのに、と思うといたたまれなくなるかもしれない。

結局、誰もがごはんを食べなくてはならないから、困るのだ。そして、ごはんを食べること自体、かなり楽しいことだ、というのが、さらに困る...

好きなことだけしていたい、でも、時々は美味しいものも食べたい...。それが弱み。

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明けても暮れても。

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毒言毒語

山本夏彦著 「毒言毒語

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「首うなだれ、両手さしのべ『お縄を頂戴します』と、昔のお尋ね者なら神妙にしたところを、今はみんな世の中が悪いんだと、かえってうそぶく...非は常に、ことごとく他人にあって、みじんも自分にないと、このごろ相場はきまったようだ」

「非は常に他人にあって、みじんも自分になければ、経験が経験にならない」

「みんな世の中が悪いのか?」

昔のことは知らない、だから、こういうことが最近、始まったことなのかどうなのかはわからない。第一、この本は、昭和46年の本である。「十分、昔じゃないか」と思う人もいるだろう。少なくとも、今から40年近く前には、何でも世の中のせいにする、という風潮があったのだとわかる。上の文章を読んでいると、今の時代のことを言っているようにも感じるけれど...

実は、皆が自分の悪いのを世の中のせいにしない結構な時代、というのはなかったのかもしれない、と思う。人は常に、悪いのを他人のせいにして生きてきたのでは、とも思う。ただ、それはまた、別の問題である。世の中のせい、自分の置かれた状況のせいで悪いことをする人はきっといるだろう。いや、たくさんいるかもしれない。だが、裁く側がそれをいちいち全部考慮していたら、悪いことなんて、し放題になってしまう。きりがない。だから、やっぱり「世の中が悪い」とは公式には言うことができないのだ。

ただし、人を裁く仕事は司法に任せるべきだと思う。よく知りもしない人間をよってたかって裁くなんてことをすべきではない。明日は我が身、である...

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ほら「国鉄」って書いてあるでしょう。昔の本だ。

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2009年12月18日 (金)

チーズ図鑑

文藝春秋:編 丸山洋平:写真 「チーズ図鑑

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マスカルポーネ:絶品という意味のスペイン語。柔らかくてクリーミー。白色(熟成しない)。柔らかで、やや甘味がある。ティラミスの材料としてポピュラー。

...うんうん...そうだよねえ...ティラミスティラミス...

パルミジャーノ・レッジャーノ:前日夕方絞った乳と翌朝の乳を合わせて作る。断片を噛みしめると口いっぱいに旨みが広がる...チーズの王様の称号がある...

...そう、王様だよ...こんな美味しいもの、他にあんまりないよねえ。旨み、広がる広がる...

なになに...「パルミジャーノ・レッジャーノを担保に銀行でお金を借りるシステムは今も残る」って...なにー!これ、日本で言ったら、味噌を担保に銀行でお金借りられる、みたいな話だよねえ。

アロム・オ・ジュヌ・ド・マール:熟成ずみのチーズをブドウの絞りかすに最低1ヵ月漬け込む。

へえ、ほんとだ、葡萄の絞りかすがついてるよ。どんな味だろう...想像、想像...

図鑑、読むの、子供の頃から好きなんですよ。昆虫の図鑑とか、鳥類の図鑑とか、地球の図鑑、なんてのもあったな...

食べ物の図鑑は、面白いだけじゃなくて、美味しいです。読んでると、味、します。知らないものでも何となく、わかったりします。

チーズだけじゃなくて、もっと色々な食べ物の図鑑、あるんだろうな。探してみよう...こうやって、本は増えていくのです....

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パルマに行って、本物が食べたい...

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2009年12月17日 (木)

フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました

きたみりゅうじ著 「フリーランスを代表して申告と節税について教わってきました

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「経費はダメもとで全部のっけちゃうの。まったくのっけなければどれも経費になってくれませんけど、全部のっけて半分否認されたって、半分は認めてもらえたねラッキーとなるわけですよ」
「そんなんありですか!」

フリーランスになって、確定申告をするようになって感じたのは、「え、何?こんなにいい加減なの?」ということだ。いや、別に税務署の人がやる気がないとか、時々、書類をなくしたりするとか、還付金が知らない間に増えてたりするとか(そういうこと、一回くらいないかなあ...)、そんなことを言いたいのではない。いい加減、というのは、税金に関するルールの話だ。何が経費か、という基準が実に曖昧なのだ。もちろん、「誰が見ても経費」というものもあれば、「誰が見ても経費じゃない」というものもある。だが、「見ようによっては経費だけど、見ようによっては経費じゃないかもなあ」というグレーゾーンがほんとに幅広い。

「そんな、言ったもん勝ちって変やん。不公平やん...」とも思ったが、よくよく考えてみると、厳格なルールなんて作れるわけがないのである。何千万人という人がいて、それぞれが何にお金使うのだか、まったく予測もつかない。時代によっても違う。たとえば、20年前だったら、翻訳業の経費に「インターネット接続料金」が入ることはなかっただろう。厳格なルールを設けるとすれば、こういう新しい産業が興る度に誰かが検討をしなくてはならない。

...それではあまりに非効率...だいいち、調査、検討に税金をつぎ込んでたんじゃあ、何のこっちゃわからない。というわけで、結局、今の仕組みは最善かどうかはわからないけれども、結構、よくできているんだなあ、とわかってきた。

現状に不満を持つことは多いし「もう少しこうすれば、もっとよくなるのに」と思うこともないではないけれども、実は世の中、案外、うまくできていて、改善するって言ったって、そう簡単ではないことが多い。不満があるなら、自分が変わる方が早い、って本当だね...

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こういう感じ...「天網恢々疎にして漏らさず」ってことなんだろうな。

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2009年12月16日 (水)

哲学の教科書

中島義道著 「哲学の教科書

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もし、あなたが、プラトンやカント、フッサールやハイデガーについて何年も何年も研究し、その成果が皆に認められ、めでたく東京大学かどこかの哲学教授になれたとする。そうなった時、果たして、あなたは「哲学者」になった、と言えるのだろうか。

答えはノーである。あなたは一流の「哲学研究者」にはなったかもしれないが、だからと言って哲学者とは言えないし、他の人に比べて「哲学者に近づいた」とも限らないのだ。他人がどう考えたかをいくら知ったところで、自分で考えられるかどうかとはまったくの別問題である。もちろん、「知ること」を極めること自体は、見方によっては立派なことだろうが...。

パスカルは「哲学を軽蔑することが真に哲学することだ」と言ったという。「今生きていること、そしてまもなく死ぬこと」その問題について考えて考えて、考え抜いて、それでも何も答えは出せない。また、その姿勢を特に誇らしいとは思わず、むしろ恥じている、そういう人がいたら、真に「哲学者である」と言っていいかもしれない。つまり、哲学者とは、なって嬉しいものではまったくないし、目指してなるものでもない、ということだろう。案外、哲学の「て」の字も感じられない、あんな人やこんな人が、本当の哲学者なのかも...

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地球を救え!

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2009年12月15日 (火)

電網創世記 インターネットにかけた男たちの軌跡

滝田誠一郎著 「電網創世記 インターネットにかけた男たちの軌跡

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電話線で音声以外のものを送るのは、元々、違法だったらしい。それも、そんなに昔の話じゃなくて。私の子供の頃は確実にそうだったみたいだ。ウソみたい。もし今もそうなら、日本国民のほとんどが犯罪者、ということになる。

インターネットは今や、誰でも使う、というくらいになっている。ここまで来ると、「公共のもの」ということになるだろう。公共のもの、というからには、どこかの役所がプロジェクトチームか何かを組んで、それで始めたんだろう...と思いがちだ。

...だが、インターネットは違う...日本におけるインターネットは、ごく一握りの人間が、政府や役所の指示などではなく、勝手に、いわば「ゲリラ的」に作り上げたものである。一握り、というか、実のところ、村井純、という一人の人間がほとんどのことを決め、ほとんどのことをやってしまった、と言ってもいい。

彼がいなかったら、日本にインターネットはなかった、とは言わないが、多分、かなり違ったものになっただろう。もしNTT主導でトップダウン式にできあがったとしたら...あんまり想像したくない...

「重大事なのだから、皆でよく議論して」と言われることがあるが、本当は、重大事こそ、真に優秀な一人の人間の独断で進めた方が、いいのだろうなあ、と思う。皆で議論をすると、全員が一生懸命に舟を漕いでいるのに、まったく前に進まない、ということにきっとなる。何かができたとしても、それはまるで鵺のような得体のしれないものになるだろう。鵺のようなインターネットにならなくて、よかった。今のインターネットなら、たくさん欠点はあっても、少なくとも得体は知れているわけだから。

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わがままからスタート。

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2009年12月14日 (月)

沖縄文化論 忘れられた日本

岡本太郎著 「沖縄文化論 忘れられた日本

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岡本太郎は、沖縄で古来、信じられてきた原始宗教に触れる。その宗教において、人々が「聖なるもの」として崇めるのは、偶像ではない。ただの「場所」である。本当に何もない。像だけでなく、その他、一切の「シンボル」がない。ただ、場所がそこにあるだけ。

沖縄だけでない。日本人が元々、信仰していたのはそういう宗教なのだ。「宗教」という言葉で呼ぶべきなのかどうかもわからない。ただ、恐ろしいもの、畏れ多いものが存在する。仮にそれを「神」と呼ぶとすれば、その神が聖なる場所に降りてきて、人間と向かい合う。人々は、その神を心の支えに、また神の怒りに触れないよう注意して、日々、生きる。

そんな「神」の存在、ふと、感じたように思うことがある。必ずしも、神社とかお寺とか、そういう場所で、というわけでなく。また、森の中とか、海のそば、とか、いかにも聖なるものがいそうな場所で、というわけでもなく。いつもの街の、歩き慣れた道の角を曲がった拍子に、あるいは、電車に乗って眠ってしまい、はっと目を覚ました瞬間に...

実は、その場所に何か特別な気持ちが生じれば、神はどこであろうと、現れるものなのかもしれない。

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さっぱり。

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2009年12月13日 (日)

猫に超能力はあるか?

デズモンド・モリス著 羽田節子訳 岩合光昭写真 「猫に超能力はあるか

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日本人がよくやる「こっちへこい」というポーズ、国によっては「あっちへ行け」という意味になるらしい。まるで反対。他にも、外国では思いがけない意味になってしまうポーズがたくさんあるみたいだ。言葉だってまったく違う。某国の「アホネン」という名前、当の国では何でもないのだろうが、日本(特に大阪)の人にとっては、どうしても頬のゆるんでしまう名前。こんな状況じゃ、意思の疎通は非常に困難だと言わざるを得ない。

同じ人間でもこの有様...ましてや、違う種類の動物が何を考えているかなんて、ほとんどわかりようがない。通じ合うなんて、まず、不可能と思うのが、まともな判断というべきだろう。

猫が何を考えているのか、わかるような気がする時がある。表情やしぐさを見て、「嬉しいのかな」「悲しいのかな」「あっちょっと好かれてるかも」「嫌われているかも」、色々なことを思う。でも、それは、結局、人間(それも日本人の、しかも自分の知っている人)の、似ている表情、しぐさから類推しているだけだ。本当に何を考えているのかなんてわからない。第一、人間が言うところの「考える」ということをするのかどうかさえ、わからないのだ...

この本を読んで、ますます「まったくわからないと思うべきなのだな」との思いを強くした。自分の類推は、どうやら、いい加減な憶測にすらなっていなかったらしい。見当違い、どころではないくらい、まったく当たってなかった。

そんなに通じ合っていない間柄でも、なんだか楽しく過ごせる時はたくさんある。それでいいのかもしれない。人間どうしだって、そういうことがあるのかもしれないんだから。せめて、自分が楽しい時、猫が悲しい思いや辛い思いさえしていなければ...と祈るばかりだ。

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超能力....ないと思う方が面白い。

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