トリエステの坂道
須賀敦子著 「トリエステの坂道」
小学校の時、「文章は思ったことを思ったとおり書けばいい」と教わった覚えがある。今もそう教えているのだろうか。思ったことを思ったとおりに書くのは自由と言えば自由だが、それでは多分、思ったことが読み手には伝わらない。
たとえば、とても悲しい出来事があったとする。思ったとおりに書けばいいのだとしたら、「悲しい」と書けばいいことになる。悲しさの度合いが大きければ、「悲しい」という言葉に「とても」「極めて」「この上もないほど」「絶望的なほど」といった修飾語をつけていくかもしれない。でも、どれほど悲しさを言葉で強調したところで、読み手は「大げさだな」...と感じるくらいなもので、大して悲しんではくれない。スポーツの劇的な場面でアナウンサーが絶叫しても「うるさい」とだけ思うように。
須賀敦子さんは、夫を早くに亡くしている。だが、夫という人をどう思っていたのか、亡くなってどんな気持ちなのか、そういうことを具体的な言葉で語ることはほとんどない。夫にまつわる数々のエピソードが書かれてはいるが、語り口は淡々としている。しかし、その文章のまとう「空気」のようなものが、須賀さんの気持ち、心の中を百万語の言葉より雄弁に語っている。そこにはもちろん「悲しい」という気持ちも含まれているだろう。「悲しい」という言葉に強い修飾語をつけるよりも深い深い悲しみが伝わってくる。いや、伝わってくる、というより、自分の心に須賀さんの心が乗り移り、同じ悲しみを追体験しているような気分になる。そんな文章は、「思ったとおりに書けばいい」などという素朴な方法ではとても書けない。ちゃんと、テクニックを身に着けなくてはいけない。「仏作って魂入れず」という言葉はあるが、魂だけいくら込めても、仏を作る技がなければどうしようもないのである。
...技と心...一冊持っていれば、一生手放せなくなる、そんな本。
「夫が死んで、あれは一年ほど経ったころだったろうか」
「夫の実家に私が出入りするようになったのは...」
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