« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »

2010年10月

2010年10月31日 (日)

車体感覚

粋な人、というのは、車の運転で言うと「車体感覚」に優れている人、という気がする。自分という人間が取るスペースを実際より大きく見積もっている、というか。なので、どこにもぶつかることなくすいすいと行動できる。実にスマート。

私はそれがまったくダメだ。自分の車体を実際より小さく見積もっているところがある。動くたびにあちこちにぶつかる。口を開くと余計なことを言う。自己主張強くて、ねえ。もう、あきらめているけどね。

でも、本当は、「ムッシュー」みたいな人に生まれたかった...

Jptjpg
J=P・トゥーサン著 野崎歓訳 「ムッシュー」

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月30日 (土)

存在しない敵

なんだか、自分でもそうだとわかっているのに、

「存在しない敵」

と戦おうとするのをやめられない。

実際には起こっていない問題、誰にも言われていないこと、どこにもない悪意...

そういうものを勝手に頭の中でこしらえ、「敵」とみなして戦っている自分に気づく時が多いのだ。

アホやなあと思う。だって、

「本当に存在する敵」

だってちゃんといるんだから、存在しない敵にエネルギーを奪われている場合ではないのだ。何の得ににもならない...

これは一種の現実逃避なのかもしれない。どうしたもんかねえ。

| | コメント (2)

2010年10月29日 (金)

立場

「×月×日 夏の直木賞選考が近づいたので、候補作八篇を抱えて、神田の〔山の上ホテル〕へ、昨日からこもって読み始める。昨夜はちょっと銀座へ出て、古い日本映画のコレクターだった故西原延和氏所蔵の〔愛怨峡〕を料理屋の一室で見た。西原氏が先ごろ急死されてしまったので、これからは、このあつまりもどうなるかわからぬ。昨夜から今夜にかけて四篇を読み終えた。読むことはさておき、選考へのぞむ自分の腹が決まるまでが、なかなかに時間がかかる」

Img_0021

なんだか、いちいちかっこいい一節なんだけど...よく考えたら物凄いことをさらっと書いてある...八冊も読まなくちゃならないの!?しかも一日で四冊...選考委員になるのは名誉なことだけど、重労働だねえ...

羨ましい人でも、それぞれの立場で大変なことってあるもんだな。

Img_0022

池波正太郎著 「池波正太郎の銀座日記〔全〕

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月28日 (木)

学級委員

子供の頃、学級委員に憧れていた。なりたくて、たまらなかった。でも、誰も私を選んではくれなかった。1票入ると教室に笑いが起きるのだ。失礼な...

選ばれる子はだいたい決まっていた。3人くらい。どの学年でも、1学期、2学期、3学期、順番に同じ顔ぶれ。前回はAさんだったから、今度はBさんね...と選挙をする前から「民意」が決まっている感じ...

うらやましくてしょうがない。そういう人になりたかった...なのに、選ばれる子は、選ばれると、決まってこう言うのだ...

「俺、いらんわー(訳:俺、やりたくないよー)」

そんなことを言う人の気が知れなかった。こんなになりたがっていて、一度もなれない人がいるというのに、いつでもなれる子は、いやだという。

一度、そういう人たちに問い質してみたい。

「あれは本心だったのですか?」と。

本当は嬉しかったんじゃないですか、と。違うのかなあ。違うのかあ...そうかあ...

| | コメント (2)

2010年10月27日 (水)

大地

「いい土は、上等の料理と同じで、濃厚過ぎても、重過ぎてもいけない。冷た過ぎても、びしゃびしゃし過ぎてもいけない。また乾き過ぎてもいけないし、粘りがつよ過ぎてもいけない。固過ぎても、ボロボロし過ぎても、生ま過ぎてもいけない。パンのようでなければいけない。蜂蜜入りのクッキーズのようでなければ、ケーキのようでなければ、また、酵母入りの団子のようでなければいけない。ボロボロにくずれるようでなければいけない。かたまりになって割れるようではいけない。シャベルを突っ込むとザクッというようでなければいけない。ピチャッというようではいけない。層になったり、かたまりになったりしてはいけない。またベットリした、やわらかい団子になったり、プディングになったりしてもいけない。シャベルに山盛りにしゃくって、ひっくり返したときには、さも『いい気持ち』といったようなため息をして、ふんわりと、ざらめのように崩れ落ちるようでなければいけない...」

Img_0001

農作業なんて一度もしたことないし、アスファルトやコンクリートばかりのところでずっと生きてきたけれど、なぜか、この文章、何を言っているのかが、ほんのりとわかる...農夫になるべく生まれついている?

「ざらめのように崩れ落ちる...」と言われると、「ああ...なるほど...」と思う...

Img_0002

カレル・チャペック著 小松太郎訳 「園芸家12カ月

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月26日 (火)

減点

不思議なんだけど、何かを評価する時、減点方式でやると、あっという間に点数がゼロになってしまうんだよね。「あの人はああいうところとああいうところがよくない」というのをあげつらっていくと、どこもいいところのない人にすぐなる。

そして、「いいところがない」と言い続けられた人は、だんだん、ほんとに、いいところのない人になっていく。少なくとも、その人の前では。だから、減点法で人は見ない方がいいなあ、といつも思っている。

でもね、いくら自分がそう思っていても、他人が自分を減点法で採点するのを防ぐことはできない。減点理由自体は間違ってないことも多いし。減点法で採点されたら、5分で0点になる自信あり...

だから、0点でもまあ、いいじゃないか、と思えるようでないと、結構大変かもなあ、と思っている。毎日、0点て言われ続けるのはさすがに困るけど....

| | コメント (0)

2010年10月25日 (月)

バランス

そのあたりをバランス良く...

このセリフで話をまとめようとする人をよく見る。

がっくりくるセリフだな。バランス良くできれば、最初から苦労はないのだ。

バランスを取るには、必ず反射神経が必要になる。考えている暇はない。無意識に瞬間瞬間、バランスのわずかな崩れの兆候を感知し、それを修正していなければ、すぐに倒れてしまう。

そんなことは、言われてすぐにできるものではない。どこが均衡点なのかさえ、わかりはしないのだ。

自転車に乗るのと同じ要領だよねえ...乗れるようになるまでに、何度も転んで傷だらけ、血だらけにならないと、覚えない。覚えたら、無意識にできる。

中には血だらけにならないで済む人もいるけど、それはやってみないとわからない...

| | コメント (2)

2010年10月24日 (日)

努力賞

小学校の時、音楽の授業で「笛のテスト」があった。ソプラノリコーダーだ。私は音楽の授業が、体育の授業、給食ととともに、学校で一番嫌いだった。あんなに退屈なものはなかった。ああいうふうに教えられれば、どんなに面白いものもつまらなくなるだろう(今は、そういう経験もしておいてよかった、と思っているけど)。

なので、ソプラノリコーダーも全然、練習しなかった。興味がないのだ。幸い、というか皮肉にも、というか、ヤマハエレクトーン教室に通っていた私は、譜面は読めたから、何にも練習せず、ほぼ初見でも、クラスで一番下手な子よりはずっと上手く吹けた(嫌な奴)。だけど、もちろん、一番上手い子よりははるかに下手だった。

そして、テスト本番。まあ、こんなもの、というくらいの演奏をした。すると、先生は私に、

「努力賞」

というのをくれた...一切の努力をしなかった私に、だ。子供だけれども、この努力賞の意味はよくわかった。

「あなたは褒めてあげたいけど、取り立ててうまいわけじゃないし、褒めるところが見つからないから、努力を褒めてあげましょう」

そういう意味だ。何だか無性に腹が立った。何に対してかわからない。先生に対してではないだろう。先生は一生懸命気を遣ってくれたのだ。

多分、自分の実力がこんなもの、と思われたのが悔しかったのだ。やれる努力をまったくしていない。でも、そこそこできるからいいや、と思っていた。そこに「あなたは努力していますね」と(ウソかもしれないけれど)言われた。何だか、かっこ悪い。ほんとはもっとできるんだよ、と言いたかった。だけど、努力して素晴らしい演奏をしてみせない限り、それを証明することはできない...。

あんな思いだけは、もうしたくない、と思う。

| | コメント (0)

2010年10月23日 (土)

シャボン玉

「インタビューのあとで私が気づいて愕然としたのは、ビートルズについて、あるいはその作品について私の知らないことがまだ多すぎるということだった。それなのにだれもが彼らの名声と成功について千篇一律のことを繰り返し尋ねている。そしてシャボン玉がはじけるのはいつだろうかと考えている」

Img_0023
ビートルズだって、同時代には、他の多くのミュージシャンと同じだったんだね。特に本国イギリスでは、ただ単に「今、一番人気がある芸能人」くらいの扱い。でも、3年も経ったらどうなるかわかりゃしない。落ち目になってドタバタしたら、あることないこと言ってやろう、書いてやろうと待ちかまえている連中がたくさんいたのだ。

そして、ビートルズは結局、何十年も残る存在になった。なんだ、同時代の人は価値がわからなかったんだな、とかそういうことじゃないと思う。それはそれで間違っていたわけじゃないと思う。ただ、受け取る側の意識が何かしら、変わったのだ。ビートルズ自体は同じなんだけど、たまたま見る目が変わっただけなのではないだろうか...

...とはいえ、色々、話を聞いたり、本で読んだりしていると、長く残る人って、やっぱり仕事のきめ細かさ、とか、裏での努力が他とはだいぶ違ったりするみたい....長く残るのがすごい、というのじゃなくて、すごい人が長く残りやすい、ということかなあ...

という、まあ、どうでもいい話....

Img_0024
ハンター・デイヴィス著 小笠原豊樹・中田耕治訳 「ビートルズ 上」

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月22日 (金)

まいなすわん

自分の見ている世界は、いわば「マイナスワン」の世界なんだな。歌が抜いてあるカラオケみたいに

世界 - 自分

という「マイナスワンの世界」。

自分というものを除いた世界を見ているわけだ。周囲の人たちの見ている世界には、私という存在が加わっている(もちろん、見ている本人はマイナスワン、されている...)。

だから、つまり、こういうことなんだ...

おしゃべりな人の見ている世界は、かなり静かな世界

周囲の人に比べて、しゃべっている人間の見ている世界は、とても静か。静寂の世界。

皆様、日頃、お騒がせしております....ははは。

今日も静かな一日だった...ビール飲みながら歌を歌う奴もいないし...

| | コメント (2)

目で見る

Img_0014

見ると聞くでは大違い。そんなこともある...じゃなくて、きっとそんなことばっかりだ。

テレビとかで、悪人みたいに言われている人も、セレブだのカリスマだの(ひどい言葉ばっかりだね、しかし)言われている人も、実際に会って話してみたら、全然違うかもしれないよ。いや、きっと違う。

自分の目で見たものしか信じない、じゃなくて、自分の目で見たものも、そう簡単には信じない、方がいいな。

で、話はいつも半分に聞く。それだそれだ。

Img_0015

いしいひさいち著 「文豪春秋

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月20日 (水)

いいたいこと

言ってもしょうがないこと、言うと色々と後で面倒なこと...そういうことほど、強く、

言いたい!

と思うのはなぜだろう。あまりにも不合理だ。できれば得にならないことは言いたくない。物事が前に進まないことは言いたくない。

なのに、そういうことに限って、

言いたくてたまらなくなったりする...

でも、少し年を取ると、そういうことを咄嗟には言わなくなる。それで、ものすごくストレスがたまって、「ああ、やっぱり言えばよかった」と悶々として、眠れなくなったりもするけど...

落ち着いてから、よくよく考えてみると、

やっぱり言わなくて正解!

とわかったりするのだ。ちゃんとわかってる、偉いぞ、俺!って感じになったりする。

本当は良いことかどうか、わからないんだけどね...

とってつけたようだけど、

What a wonderful world!

です...基本、そう思っております...

| | コメント (2)

2010年10月19日 (火)

めんどくさい

そうだ、どうでもいいことだけど、「この言葉が出てきたら文章読むのやめる」って言葉、「活字離れ」以外にもたくさん、あるなあ...

「日本を元気する」

っていうのもその一つ。なんじゃ、こりゃ。意味がわからん。私は日本を元気にするより自分が元気になりたいね。だいたい、一体、元気ってなんだ? よくわからない。

で、わからないなあ、と思って、よく聞いてみると、新しいお金儲けの話だったりする...

じゃあ、元気、とか言わないで、「新しい稼ぎ方を提案する」でいいじゃん。

でも、稼ぎ方なんて他の人に教えちゃったら、多分、自分は稼げないよね。そしたら、その人は元気にならず、元気でない人が増えて、結局、日本は元気にならない...

だったりして。

いや、ほんとはそんなこと、どうでもいいのだ。とりあえず「日本を元気にする」って言っときゃいいか、っていう気持ちが透けて見えると、しらけるってだけ。

我ながらめんどくさい。余計なお世話だよねえ。すみません、元気のなくなる話で...

| | コメント (2)

開局

10月9日、1966MHz BookRadio 開局いたしました! 試験放送の録音(録画)をお送りします。

 

...こちらでも見られます。またBookRadioブログもありますのでご覧いただければ嬉しいです。

| | コメント (0)

2010年10月18日 (月)

コペルニクス

個体発生は系統発生を繰り返す...

というけれど、個人の歴史は、世界の歴史を繰り返す、という一面もあるような気がする。

人間は長い間、自分たちが世界の中心、宇宙の中心だと信じて疑わなかった。まず自分がいて、その周りに色々なものが存在すると。

だが、コペルニクス、ガリレオ・ガリレイ、ニュートン、ダーウィン...そんな人たちが現れて、人間の存在はどんどん「相対化」されていった。人間は宇宙の中心ではなく、「その他大勢」の部類です、と言われたのだ。というか、この宇宙には、その他大勢以外の存在はない、と言ってもいいかもしれない。どれが中心でも周辺でもなく、どれも同じ。どれも同じように、何の意味もなく、そこに「ただ存在している」。

一人の人間の一生にも同じようなことが起きる気がする。子供の頃、ごく若い頃までは自分を中心に世界が回っているような錯覚を持つ。そこまでいかなくても、自分というのもの存在感を実際に以上に大きくとらえてしまう。自分にとって自分はかけがえのない存在だ。周囲の人間にとっても同じようにかけがえのない存在に違いない。同じ、とは言わなくても、割にそれに近いに近いに違いない。はっきりそう思わなくても、何となく、そんなふうに意識している。

ところがだんだん気づき始める。自分のために世界があるのではない、ということに。世界のために自分がいるわけでもなく、ただ、世界があって、自分がいる、ということに。世界の方がずっと大きいから、自分はその世界に影響を受けずにはいられない。だが、自分が世界に与えられる影響はほとんど無に等しい。自分が何をしようが、何を思おうが、世界は何も変わらずに動いていく。それを思い知らされる。

でもね、これはどっちが上ってことも、どっちが良いってことでもないと思うんだ。「人間は宇宙の中心」と思っていた中世の人たちだって、立派にこの宇宙の中に存在し生きていた。だとしたら、別にどっちが良いわけでもない。ただの見解の相違だ。また、いつ、「コペルニクス的転回」が起きるかわからない。次の転回で、世界観、宇宙観がどう変わるか、わかりはしない。

自分の好きなパラダイム(物語)を抱いて生きていけばいいと思うのだ。それしかできないわけだし。

| | コメント (6)

2010年10月17日 (日)

かつじばなれ

「活字離れ」が進んでいる....

この文言が入っているだけで、その文章、読むのをやめてしまうことが多い。字数稼ぎかな?とも思う。つまらない、どうでもいいこと書いてるな、と思う。

ほんと、どうでもいい。嫌なら読まなければいいじゃないか。人におせっかい焼くほど暇じゃない。自分の時間を誰がどう使おうと勝手だ。

活字離れ、進んでいるか、どうか私にはわからないけれど、そもそも、一般庶民が誰でも字を読めるようになって、本を普通の人が読むようになったのって結構、最近らしい(本にそう書いてあった)。だから、仮に活字離れが本当だとしても、正確には「読書ブームが終わりかけている」というだけなのかもしれない。本を読む、という行為は一時の流行に過ぎなかった、という。1000年以上の歴史の中で、何十年しか続かなかったんなら、「習慣」っていうより「流行」って感じ...インベーダーゲームやダッコちゃんよりは随分長く続いた、とは言えるけど。

ブームが終わろうが、私は読む。

明日は何の本を読もうかな。楽しみだな。

| | コメント (0)

2010年10月16日 (土)

きにする

自分の力でどうにもならないことを気にしてもしょうがない。自分の力でどうにかなることだけをやればいい...

...と色々な人が言ってますよね...でもね、そんなこと、多分、できないです...

自分の力でどうにかなることっていうのは、どうにかすればいいだけだから、どうにかなった時点で懸念事項ではなくなり、目の前から姿を消します。

しかし、自分の力でどうにもならないことは、どうにもならないわけだから、ずっと目の前にあるわけです...

目の前でぶんぶん虫が飛んでいるのに、その虫をどうすることもできないとしたら、やっぱりずっと気になるもんね。気にしない!と思った時点で全力で気にしていることになるしね。

もう、自分の力でどうにもならないことで思い悩んでいる自分を「ダメな奴だ」とか思わないようにする、くらいしかできることはないよね。いいじゃん、気にしてても。色々がんばるわけだからさあ...許してよ....とか思うわけです...

...誰に許してもらう、というわけでもないわけですが...

| | コメント (0)

2010年10月15日 (金)

でかける

「できる」と思うことと、実際に「やる」こととはまったく違う。それは昔からよく言われる。だが、それを頭でわかるのと実感するのとでは大違いだ。

二つの違いをよく痛感するのは、たとえば「出かける時」だ。

どこかへ行こうとして、「うちを出る」という行為は誰でもすると思う。うちを出なければどこへも行けないのだから、普通は頻繁に「うちを出る」という行動を取ることになる。だが、これが当たり前すぎて、よく頭から抜け落ちる。抜け落ちるとどうなるかというと、所要時間をゼロとみなしてしまう、ということにつながるのだ。

想像の中の自分は、何のトラブルもなしに、ごくスムーズに、さっとうちを出ることになっている。ところが実際にはそうはいかない。荷物を準備しなくてはならない。戸締まりや火の元の確認もしなくてはならない。靴も履かなくてはならない(これにも手間と時間がかかることを忘れがち!)。寸前に電話が鳴ることもある。その電話がものすごく長引くかもしれない...等々...

このように、ただ「うちを出る」というだけでも、常に「茨の道」を歩まねばならない(大げさ)のだ。こんな簡単そうに見える行為でもそうなのだから、一見して難しそうな行為が、どのくらい難しいか、想像してもしきれないくらいである...

自分のやったことのないことをやっている人には、敬意を表するべきだろう、と思う。

| | コメント (0)

2010年10月14日 (木)

忘れてしまう

「もっと深刻なのは、中断によって、アイディアそのものを忘れてしまうことだ。これについて、上智大学の渡部昇一教授が、歴史に残る悲劇を紹介している。それによると、イギリスの詩人コールリッジは、『クブラ・カーン』という詩を五十数行目まで書いたとき、訪問客に中断された。わずか数分の中断だったが、机に戻ったときには詩のイメージは失われており、そのため、英語でもっとも美しいといわれている作品が未完のままになっているというのである...」

Img_0011
恐ろしい。歴史を変えた訪問客。今なら電話なんかも危ないな。歴史を変えてしまう電話。こういうことを考え始めると、おちおち人を訪ねることも電話をかけることもできなくなってしまう...

普段、何気なくやっていることが、知らない間に歴史を変えてしまっている、そういうことは実は多々あるのかもしれない。たとえ、今日、外を出歩いたか、うちにこもっていたか、ただそれだけのことが、歴史を変えたり、して...

Img_0012
野口悠紀雄著 「続『超』整理法・時間編」

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (2)

2010年10月13日 (水)

かっこいい

百恵ちゃんのラストコンサート、テレビでちょっとだけ流していた。本当に、この人、30年間、一度も人前に姿を現さなかったんだよねえ...

簡単なことではない。別に一回くらい、「へへ、最近の私、見てください」と言って現れたって、何も悪くはないと思うのだ。

...だけど、もちろん、一度も現れない方がかっこいい。かっこいいと感じるのは、そうすることが難しいと誰もが知っているからだろう。30年、だからね。その間、何が起きても不思議はない。何人の人が生まれ、死んでいっただろう。世の中も30年前とはまったく変わった。

このくらいの人になると、もう一生が一つの「作品」のようなものなのかもしれない。一度でも、姿を現したら、壊れてしまう。ガラス細工みたいに。作品の美しさを保つには、ずっと隠れていなくてはならない。

今の百恵ちゃんは見たいような見たくないような、だけど、無理に引っ張り出そうだなんて、誰にもして欲しくはないなと思う。

まあ、実は「へへ」と言って、しばらくしたら再び姿を現しちゃう人も嫌いじゃないんだけどね。固いこと言わずに楽しくやりましょうよ、とも思う。伝説なんて壊れてもいいじゃん。要は本人が幸せならば、どっちだっていいと思うのだ。

かっこいいかどうかなんて、その程度さ。かっこいいのは、素晴らしいことだけど。

| | コメント (0)

2010年10月12日 (火)

うしろにさがる

「少し後ろに下がって見てみるのもいい。そうすれば絵は小さく見え、一度に見える範囲は広がる。手脚の均整がとれていないことや、物の色の調和が悪いこと、などがすぐにわかるだろう」

Img_0002_2

あんまり近くに寄って、必死に物を見てしまうと、かえって何も見えないことがある。細部がどうなっているかはわかっても、それが全体の中でどういう意味を持っているかがわからなくなってしまうのだ。

全体の中での意味がわからないと、結局、得られた情報が何の役にも立たないこともある。逆に、全体がつかめると、細部がどうなっているかは何となく、想像がつくこともある。厳密には想像のとおりでないことも多いけれど。

Img_0003

レオナルド・ダ・ヴィンチ著 夏目大訳 「知をみがく言葉

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (1)

2010年10月11日 (月)

「進化」大全 ダーウィン思想:史上最大の科学革命

カール・ジンマー著 渡辺政隆訳 「進化」大全 ダーウィン思想:史上最大の科学革命

Img_0002_3
あのねえ....「決定版」というやつに弱いんですよ。とにかく。「...なら、これで決まり!」みたいなのに。「これ一冊読めば、だいたいわかるよ、ほらほら...」って訴えてくる本には、くらくらきてしまう。何でかって言うと「ああ、これでもうこの分野の本、どんどん買わなくて済む。これで打ち止めにすればいいんだ。めでたいめでたい」そう思うからである。

...ところが、実際にそうなった試しはない。なぜって、「決定版」には、各方面の参考文献がたくさん登場するから。「ここまで知ったからには、こっちも読まないと、やっぱり『決定』にならないよねえ」ってことになって、決定版を読む前よりも欲しい本がはるかに増えてしまう。決定版さえ知らなければ、平和に過ごせたかもしれないのに、ねえ...。

これって、「ダイエットは明日から」と言って、「最後の思い出に」とすごく美味しいものを食べたら、他にも色々と美味しいものを思い出して、次の日から余計に食べるようになる...というのに似ているのかな、違うか...

Img_0001_2
ほらほら、ダーウィンの直筆だよ...こんなの見ると頭に血がのぼってしまう...

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (2)

2010年10月10日 (日)

かいしゃ

Img_0002_2

「まあ君はわが社の新しい雑誌をつくって軌道にのせたり、いろいろ単行本をつくったりしてよくやっていると思う」
「しかし、そうではあっても会社にはルールというものがあるからねちねち」
「社長がどう思っているかは別にしてねち、やっぱり会社というルールの中でねちねち君一人だけ日中に好き勝手というのはねち問題があると思うんだよねち」
「みんながねちねち君と同じことをねちやるようになったらねちねちねち会社は会社として機能しなくねちなるからねちねちねちねちねち」
「しかもねち、君は会社のねちねち、経営幹部でもあるのだしねちねち...」
二人のねちねち説法は果てしなく続いた。しかし言っていることはそのとおりであった...

そう、会社って、そうなんだよね。ぴしっとやることやって貢献すりゃ文句ないんだろー、と思っていたが、そうではないのだった。自分の好き勝手やりたければ、自分一人でやるしかないのだ。私は自分勝手がやりたいのだ....しかも真面目にきちんとやりたい....

Img_0001

椎名誠著 「新宿熱風どかどか団

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月 9日 (土)

ラジオ

ずっとラジオが好きだった。就職活動の時もラジオ局に入りたくてハガキを書いたりした。まだ開局前だったJ-Wave。残念ながら、その夢はかなわなかった。でも、ずっとラジオが好きだった。

ラジオの何がそんなに好きなのだろう。何がって、本当のことはわからないけれど、もしかすると、人の声が聞こえる、というのが単純に嬉しいのかもしれない。すぐ近くで人の声がする、というのが。大して面白いことを言っていなくてもそれはそれでいいし、ほんの時々でも面白いことを言ってくれれば、なおいい。

とにかく、そこに人間がいる、という感じが伝わってくるのが嬉しいのかもしれない...

...というのは一つの仮説だ。これだけじゃないような気がする。きっと、これだけじゃない。まあ、好きな理由なんてどうだっていいと言えばいいのだ。

ともかく、かたちはだいぶ違いますが、ラジオ局を始めることができました。ラジオっていいな。これからよろしくお願いいたします。

試験放送、こちらで聴けます。BookRadioのブログもあります。ご覧いただければ嬉しいです。

| | コメント (2)

らじお

人間って変だなあ。自分だけが自分の声を聞くことができない。「録音」という技術ができるまでは、みんな自分の本当の声を知らずに死んでいったんだ...。

録音された自分の声を聞いて、嫌にならない、という人を今まで見たことがない。そりゃ探せばどこかにそういう人はいるだろうけど、ほとんどいないことは確かだ。私も自分の声が嫌で仕方がなかった。こんな声、みんな聞いていて、よく平気だな、と思っていた。申し訳ない、と思ったりして。

ところが、このところ、それが変わってきた。ちょっとした事情で(ぬあにがちょっとした事情だ...)、頻繁に自分の声を録音するようになったせいだ。慣れてくると、何だか、自分の声が他人の声に聞こえるようになってきた。他人の声だと思うと、「まあ、別に普通の声か...特に良い声でもないけど、そんなに変でもない。どこにでもある声だ」と感じられるようになったのだ。

当たり前のことなんだけど、それを実感するまでには時間がかかるねえ...

....というわけで(どういうわけで?)...

告知:

えっと、本日(10月9日土曜日)、例の「ひのえうまトリオ」で、「bookRadio」というWebラジオ局を立ち上げます。10/9(土)のおそらく午後6:30から7:00くらいの間に、試験放送を開始する予定です。よかったら、聴いてみてください。放送開始の際に、ブログ「横浜翻訳生活」やツイッターなどで告知するつもりです。よろしくお願いいたします。

Logo_tower2

| | コメント (0)

2010年10月 7日 (木)

あそび

遊びたい。遊びたい。ずっと、遊んでいたいのだ。

と言っても、いわゆる「レジャー」は、実はそんなに面白くない。もっと言うと、お金を払って、他人に「遊ばせてもらう」のは、時々、短い間なら楽しいのだけれど、ずっとそれだと退屈してしまう。

自分が動いて、自分が努力しないと何も動かない遊びがいい。必死でやる遊び。それでもって、他人がそれを「仕事」とみなしてくれて、喜ぶ人もいて、お金もくれたりして。そういう遊びがいい。

できれば、そうして一生、遊んでいたい....だから、努力しよう。遊び続けるための努力....それは時にしんどいけれど、やっぱり楽しい。

| | コメント (0)

2010年10月 6日 (水)

あたりまえ

「手打ちソバは一般に量が少なくて値段が高い。手打ちソバは、もともと『趣味ソバ』だし、ソバ屋の店主は、概してソバ粉の種類、挽き方、打ち方、茹で方に至るまで徹底的に凝るタイプが多い...ところが、中途半端なソバ好きは、そのことを理解してくれない。すると、当然のことながら『味はいいけど、量の値段がね...』と後で文句を言われることになる...」

Img_0001
いいものを作ろうとすれば、手間と暇がかかる。手間と暇とは、つまり「お金」である。だから、いいものは高くなる。当たり前である。もし、安くていいものを見つけたら、「どこかで誰かが泣いているかもしれない」と思って間違いない。

...もちろん、「遅いことはウシでもできる」というのも本当なんだけどね。一方で....

Img_0002
杉浦日向子とソ連 編著 「ソバ屋で憩う

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月 5日 (火)

表裏一体

「ところがキリスト教の教義では、天地創造からアダムとイヴの楽園追放、イエスの降臨と死と復活を経て、人類史は最後の審判へと直線的に流れていく救済の歴史としてとらえられ、この世におけるすべての出来事は、病気も不幸も不運も、あるいは災害や戦争、不作なども、みな神の摂理の結果として説明されることになったのです...いいかえれば、この世には未知のもの、不可解なもの、恐ろしいものは何もないのであって、人間が神の摂理を正しく理解すれば、なんら恐るべきものはないとされたのです...信仰が深くなれば、この世のすべてが明らかになるというのです...」

Img_0001
これは、あともう一歩で科学じゃないか...。対立するように見えるものが、実は表裏一体、というか一続き。

Img_0002
阿部謹也著 「自分のなかに歴史を読む

にほんブログ村 本ブログ 書評・レビューへ

ブログランキングに参加中!もし、できましたら、上のボタンを1日1クリックしていただけると嬉しいです。

姉妹ブログ「横浜翻訳生活」もよろしくお願いします。

| | コメント (0)

2010年10月 4日 (月)

美意識

「美意識」というもの。美意識は持っていたい。でも、美意識に振り回されたくはない。大事にしたいけれども、絶対の存在ではない。それが美意識。

美意識は一人一人違うから、たまに同じような美意識の人に合うと嬉しくなる。それも美意識。

だけれど、いいなと思うのは、美意識を大切にしながらも、それがあくまで相対的なものであることをよくわかっている人。いつでも自分の美意識を外から眺めることができて、時にはそれを笑うこともできる人。それが私の美意識。

苦手なのは、美意識を正義だと思い込んでいる人。人に自分と同じ美意識を持たせようとする人。

それも私の美意識。

それが美意識。

| | コメント (0)

2010年10月 3日 (日)

コーヒー牛乳

私の通っていた幼稚園には給食があった。確か週に二回、お弁当の日があったのだけれど(火曜日と金曜日だったと思う...)、他の日は給食だった。そして何より楽しみだったのは、土曜日の給食。なぜなら、土曜日には必ず

コーヒー牛乳!

が出るからだ。その頃の私は土曜日のコーヒー牛乳のために生きていると言っても過言ではなかった。いや、大げさではない。あの瞬間があったからこそ、毎日、大嫌いな白い牛乳を飲むことができたのだ。ああ、麗しのコーヒー牛乳....

実はあの頃から自分はあんまり進歩していないんじゃないか、と思う。毎日、好き勝手に生きて、何も不平を言う資格などないはずだろうと思うけれど、やっぱり時々、あのコーヒー牛乳のような

スペシャルな何か

が欲しくなってしまう。大げさなものでなくていいのだ、何かいつもと違う、ちょっとした喜び、それがないと、なんだか...

とてもやってられない

のである。だから、どうか、

誰か僕にコーヒー牛乳をください...

と言っても、今はコーヒー牛乳そのものはいらないんだけどね。幼稚園の時のコーヒー牛乳のような、そういうスペシャルなものが欲しい。やっぱり誰かがくれるの待ってちゃいけないな。探しに行こう....結構見つかるんだ、これが。

| | コメント (2)

2010年10月 2日 (土)

がっこう

そう言えば学校で作文の書き方を習った覚えがない。学校は、文章を書く、という非常に重要な技術をまったく教えないのだ...

「国語」という科目はあるけれど、あんな得体の知れないものはなかった。「ここで作者は何を言おうとしているのでしょう」って、さあ...だから、それは「書いてあるとおり」だってば。別に「言いたいことをア.からエ.のうちから選ぶ」ために書かれた文章じゃないんだしさあ...

まあ、考えてみたら、他にも色々と教えないことはある。最近、よく言われるのは、お金の扱い方を教えない、ということだ。ああ、それも大事だね。学校を出ても、文章は書けないし、お金も扱えない大人になる...ってことか...

いや、待てよ...何もかも教わらなきゃ、できないか?みんな、そんなボンクラか?人間には自分で学ぶ能力ってものがあるんじゃないのか。学校が「大人になるために必要なことを教えてくれるところ」って誰が決めた。元々、そういうところじゃないのかも。学校は「国語算数理科社会」っていう変なものを教えて、ほんとちょっと英語を教えて、テストして点数をつけて、ちょっと運動させたり、絵なんかを描かせたりするところ、ってことでいいんじゃないのかなあ。

「そんなの習ってないもーん..」で済ませてたら、何にもできゃしないもんねえ。

| | コメント (2)

2010年10月 1日 (金)

じかん

時間は伸び縮みする。アインシュタインに言われなくても、伸び縮みする。楽しいときは速い、とか、つまらない時は遅い、というだけじゃなくて、ほんとに日によって時間の進み方は違う。

30分くらい経っただろう、と思ったら10分しか経ってなかったり、10分くらい、と思ったら1時間だったり。そういう時って、客観的には、動く速度が全体的に速かったり遅かったりしているのだろう。自分で気づかないのが怖い。

たとえば同じ曲を聴いても、テンポが速く感じる時と、遅く感じる時がある。そういえば、こんなこともあった。もう20年以上前の話...

その時は、就職活動中だった。某社の最終面接を受けた直後。とても入りたい会社で、二次面接までは良い感触だった。だけど、最終面接は、直前にトラブルなどもあって、あまり自信がなかった。

面接が終わる前に定番のセリフを言われた。「では、もし内定の場合は・・・日の・・・時から・・・時までの間に電話をしますから」

確か、その日は1時間、ずっと電話の音だけを待って過ごさなくてはならなかったはずだ。いたたまれない...なので、仕方なく、音楽でも聴いて気を紛らわせることにした。曲は、スクリッティ・ポリッティの「パーフェクト・ウェイ」...なのに...

...遅い...どうしようもなく、テンポが...

...こんなの、パーフェクト・ウェイじゃない!

とても楽しめないので、すぐに音を止めた。この時、実感したのだ。ああ、時間ってほんとに伸び縮みするんだ、って...

...面接の結果は....おわかりと思うが、落ちていた...

もし、受かっていたら、今の仕事はしていないだろうし、このブログも書いていないだろう...

| | コメント (2)

« 2010年9月 | トップページ | 2010年11月 »